無の境地とか、

悟りとか、

これを読んで少し分かった気がする。


「ここ」と、「そこ」

の区別さえ、

本来は無いもの。


勝ち負けにこだわるのも、

自分、他者を分けるからだ。 


悲しい、嬉しい、幸せ、不幸せ…


境界線を作るから、

そういう感情が湧き上がる。


要するに、


言葉による偏見、識別をやめる、すなわち超越することが、無の境地であり、

悟りなのじゃないかと思う。


自分、自分、自分。


その執着も、まず言葉ありき。


言葉を超越すれば、

そもそも、生と死の違いもない。

私達は、ただ流れている。

その中に、始まりや終わりを言葉で見出しているだけなのだ!


読んでよかった。

空っぽで生きようと思えた。


つまり、


生きている実感は不要ということ。


まあ、一応、頭はきちんと使うけれど、現実は勝手に流れるもので、

私がどうこう対処すべきではなく、

そうなると、

生きている実感など不要…というか、

そもそも無いと気付いた。


言葉がなければ、

生きている証拠って、実はないのよね!

お義父さんと

ここのところ天気が悪く、

閃輝暗点と頭痛(軽い鈍痛)で、何だか憂鬱であったが、

本日は晴天


お出かけしてきた。


義父の家(夫の実家)の片付け第一弾である。


本日は、昔、お義母さんが使っていた部屋の片づけ。


燃えるゴミ、

燃えないゴミ、

保留、

リサイクル、

プラ


に区分けして、

捨てるばっかにセット。


そして掃除機をかけて終了。

一時間半くらいだろうか。


お義父さんは、足腰も頭もしっかりしているけれど、

何を捨てて、何を残すべきかの区分けが、

どうもピンと来ないようだ。特に女性物は(?)


そして、ランチへ。


思いがけず、イタリアンを予約してくれていた。

お義父さん曰く、

一日に摂取できる塩分量が決まっているから、

そうなると、イタリアンになる、とのこと。


確かに、イタリアンは塩分控えめ?!

(料理によりけりか)


私も、今日はあまり考えず・・・・

小麦も、油も、乳製品も、砂糖も頂いた。


といっても、


メインをビーフストロガノフにしたので、

まあ、

そこまで小麦は摂っていないかなあ。

前菜のパテをつけるラスクみたいなパン、

あれは小麦だけど・・・。

植物油もどっかりではないはず。


ワイン、デザート&コーヒーも頂き、久々に優雅なランチだった。


夫と違い、義父はもともとよく話すし、

話もよく聴いてくれるので、

何といっても会話が盛り上がる。

それで、

ランチの閉店まで長居してしまった。


何だか知らないけど、楽しかった。


自分の身体にとって健康的な食事をこころがけるのは大事だけれど、

やはり、

人と楽しく話しながら食べると、

まあ、ワインのせいもあるかもしれないけれど、

何だか開放的で、リラックス出来て、

これぞ健康的なんじゃないか?とも思える。


↑ 何だか前に言っていたことと矛盾するが・・・それが私だ。


お義父さん⇩




お誕生日おめでとうコール

5月19日は、父の誕生日。

生きていたら、82歳である。


それはさておき、


父の誕生日には、必ず、

フロリダの伯母が電話をくれていた。


お誕生日おめでとうコールである。


これは、もう、ずーっと昔から。


伯母は70年くらい前、

国際結婚でフロリダに移住し、

一時帰国は二回しかしていない。


その割に、姉弟姉妹への電話はまめであった。

(父の兄弟は8人兄弟(姉妹)で、父には、姉二人、兄二人、弟二人、妹一人がいる)、

父の誕生日には、必ず、そう、必ず電話をくれていた。(不在の時もあったが)


それこそ、父が亡くなる前の年の5月19日も、

伯母は父にお誕生日おめでとうコールをかけてきたらしい。(父から聞いた)


しかし、この伯母、すごく変わっているのである。


決して、自分からは話題を提供せず、

決して、話も膨らませない。


にも関わらず、


自ら積極的に電話してくるのである。

私にも、何度かかけてきたことがある。


こちらが話題を見つけ、話し続けないと、会話は途切れて沈黙になる。

だから、こちらが延々と気を遣うわけだが、

叔母は、ただただ、


「あら、そうなの」と「はい、そうです」


を繰り返す。


ちなみに口調は井上陽水で、

どうでもいいが、

見た目は漫画のベティーちゃん。

若い頃は可愛いかったと思う・・。


この伯母とは別に、

テキサスに移住した叔父(父の弟)がいる。


叔父も、かれこれ、50年以上アメリカに住んでいて、

10年以上前に、ワシントンの近くの島に移住し、隠居生活を送っている。


で、この叔父とフロリダの伯母、

アメリカに居る姉弟同士、ずっと仲良くしていたのだが、


最近、事情が大きく変わったらしい。


父の他界を知らせるべく、私が叔父に電話をしたところ、

最近、フロリダの伯母は高齢者施設に入ったが、

認知症なのか、

元来の特質がエスカレートしたのか、

何だかもうよく分からないが・・・


あれだけ頼りにして、

あれだけ仲の良かった叔父(伯母の弟)を悪く言うようになり、

叔父が施設を訪れたら、

「二度と来るな!」と怒鳴られたらしい。


それで叔父は、


「だからね、もう、なかなか会えなくなったよ」と。


ちなみに、叔父の日本語は、

すっかりおかしなことになってしまっているので、

会話は英語である・・・。


フロリダの伯母は、

ちょうど、父が亡くなる前の年くらいから、変わって来たらしい。

父が亡くなった翌月の5月19日(父の誕生日)、

昔から欠かさなかった「お誕生日おめでとうコール」も遂に来なくなった。


しかし、コールしたところで・・・

父はその前の月に他界してるわけだから、出るわけもない。


伯母が国際結婚でアメリカに移住したのは、七十年以上前である。その頃からずっと欠かさなかったお誕生日おめでとうコールを、

自信の脳の都合(?)で、

意図せず、はたとやめた年、

それが、

父が亡くなった年であったことは、

偶然と言えば偶然だが、姉弟の縁かなと思う。


本日5月19日、父が亡くなって三回目の誕生日だが・・・・


ふと、過去の習慣を思い出して今年は電話するとか、

まあ、そういうことも、伯母には起こりそうな気もする。


しかし、実家はすでに売りに出ていて、電話もつながらない。

伯母が父にお誕生日おめでとうを伝えるには、


あの世と交信しなければいけない。


普通に考えれば非現実的だが、

伯母を思うと、やけに現実的に思われる。


あの世の人にも、伯母は

「あら、そうなの」と「はい、そうです」といつもの調子で繰り返しそう・・。